おそ天 フェイスブック
2014/10/21

死について

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最近身内の葬式が続いていて、そのため「死」について考えることが多くなります。

わしは物心ついた時から死ぬことが恐ろしくて仕方がなく、毎晩のように眠れぬ夜を過ごしていました。

死んだらどうなるか?

誰もはっきりしたことを教えてくれず、唯一母だけが「死んだら自分がいなくなるの。つまり何にもなくなってしまうのよ」と説明してくれたのですが、この回答がまた恐ろしくて、さらに考え込んでしまったものでした。
当時4〜5歳だったわしの解決策は、自分の寿命を100歳に決めたことでした。
子供にとって100歳ともなると、果てしなく遠い未来です。それだけ時間があれば真の解決策が見つかる気がしたし、それだけ生きられれば十分だろうとも考え、、、それからは再び安らかな眠りを取り戻しました。
ただ、根本的な解決になっていないことは承知していますから、事あるごとに「死」はわしの目の前に立ちはだかったものでした。

「死」の問題は整理する必要があります。

ひとつは、自分自身の死に対する恐怖心。
そして身近で大切な人との別れの悲しみ。
さらに「死」そのものの捉え方。

たいていの場合、一つ目と二つ目がいっしょくたになって、私達の頭と心を掻き乱します。それゆえ人は、三つ目を教義にしたり芸術にしたりして、これを基準として安心感・納得感を得られるようにするのです。

過去の自分を振り返ると、当時の死に対する怖れは尋常ではなかったと思います。
わしは母親が大好きだったので、もし彼女が死んだらこの世界はどうなってしまうんだろう?と胸が張り裂けんばかりに苦しんだものでした。
そう考えるとわしは自分の頭の中で、何度も何度も母親を死なせていたんだと今になって気づきました。
その感情は、まだ来ない「別れの悲しみ」を味わうことへの恐怖心でした。
恐怖心は心を固くします。
わがことながら、よくぞあそこまでガチガチに固まったものだと感心します。
そしてガードを固めていると、健全な人が感じるべき悲しみを味わうことができなくなる。
悲しみは味わわずに済むけれども、同時に他の悦びや他人の優しさや温かさもシャットアウトする心の体質になってしまいます。
かつての自分は、そんな心のアンバランスさを抱えていたなぁとしみじみ思えるようになったのは、多少は成長していることの証なんでしょう。

おかげさまで死に対する恐怖心全般については、克服したとは言い切れないまでもある程度コントロールする自信が持てるようになりました。
しかしながら、「死」がわしにとって重要なテーマであることに今も変わりはなく、このブログでも事あるごとにわしの死生観を紹介していきたいと思ってます。

ちなみに母親は今も健在で、元気すぎるほど元気に好きなことをやって幸せな老後を過ごしています。
(^^)


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    棟居微貳(Munesue Biny)

    自分の『現在(いま)』に満足できない働き盛り世代に向けて、「自らの意思で健全に自己成長できる機会を提供すること」をテーマに、様々な活動を展開しています。

    スパイラルセラピスト
    メンタルセラピスト(ジェネラティブコーチング)
    チームCST リーダー
    だれでも天才部 部長

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